冒険するために生まれてきた

成長を信じて挑戦する冒険者の記録

肺癌のおかげで父の認知症に気づけました

こんにちは lilyです。

 

8月24日土曜日から実家に来ています。

この1週間を、仕事をお休みして実家で父と過ごすことにしました。

 

父の病気と認知症とのお付き合いが始まってから、もうすぐ3年です。

寛解できていた癌の再発があり、治療をしましたが、進行を止められず、また、治療によると思われる影響も出てきましたので、治療を中止しました。
88歳という年齢と認知症の進行も考慮しての決定でした。

父の認知症に気付いた時のことを振り返ってみたいとおもいます。

 

肺癌が見つかり、治療のために同居してから認知症に気づきました

3年前(2016年)の10月に肺癌を見つけていただきました。特別の症状はなかったのですが、タバコ病で咳や痰が続いていたので、かかりつけの先生が、近くの病院で胸部CT検査をしてくださり、それで肺癌に気づかれました。定期的に撮っている胸部X線ではわからないものでした。

 

 

癌があると言われたと、父から連絡がありました。ちょうど1週間後に、私たち夫婦と父の3人で1泊で京都に行こうと計画していました。

 

 

癌と告げられて、少し落ち込みもあるようでしたが、計画通り一泊旅行へ行きました。

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その後、咽頭癌も見つかり、肺癌の手術(内視鏡的肺葉切除術)と咽頭癌への放射線治療をしました。治療は、父の地元ではなく、私の家から通える所で行いました。

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それまで、実家へ帰った時には、元気な父の姿しか見ることがなく、少し物忘れするようになってるな〜って感じでした。

 

 

今日行くからね〜と朝電話で話していても、帰り着くと、「お、よく来たね〜」とびっくりされたり、「夕食は〇〇に予約しておくよ」と言っていたのにそのこと自体全く覚えていない様子だったり、ちょっとおかしなサインはありました。
その頃は、単に忘れたのかな、面倒だったのかなと思っただけでした。 

 

 

母が亡くなってから、長い間一人暮らしをして来たので、洗い物や洗濯はまめに自分でします。食事は、簡単に家で食べたり、外食したりできます。週2回来てくださる家政婦さんが、掃除やごみ処理など家の管理をしてくださいます。家は荒れていませんでした。

 

 

父はいつも身なりをきちんと整えていました。スーツを着なれていて、外へ出るのにジャージを履いて出ることはなかったです。朝起きて洗顔し髪を整え、男性用コロンも使っていました。(今でも髪は染めているのかと思うほど黒々しています。)

f:id:lilychaco:20190830235139j:plain 京都 粟田山荘でお弁当

身なりが乱れてきたのは、癌発症して(認知症と気づいて)、2年以上経過してからでした。

 

 

同居してみると、

「昨日お出かけしたことなど、出来事(エピソード)を覚えていない。ど忘れではなく、経験したことを覚えていない。」

「さっき説明した今日の予定を覚えていない。太郎は〇〇へ出かけたよと言っていても、あら、太郎は?と何度も聞くので、その度に説明しなければならない。」

「食卓で、父の前に父用のおかずのお皿を並べていても、すぐ前の手元に近いお皿だけ食べている。これもお父さんのよ〜とグッと近くに寄せてあげると食べる。」

「就寝後、夜中に起き出してきて、カメラを持って2階へ上がってくる。どこへ行くのと聞くと、今から〇〇さんと撮影会へ出かけてくると言う。せん妄は、認知症でなくてもあるかもしれないけれど。」

「会話は、結構上手に対応できる。自分がわからない時は、どうだろうね〜とかどっちかね〜とか誰でも答えるように対応できる。難しい質問だね〜とはぐらかすことも。ワインのこと、旅行地のことなど、詳細に説明することができる。(父の話すことが全て正しいわけでもなく、また、全部が間違っているわけでもなく、こちらの対応こそが難しい。)」

「我が家のダイニングテーブルに座って、今夜はシェフが来てるの?と聞いてくる。レストランにいる気分のよう。」

「テレビの中の吉田類さんに会話するつもりで問いかけている。」

などなど、認知症が進んでいたことを思い知らされました。

 

病気を理由に、運転をやめさせることができました

父が来る時に、車(トヨタ ヴィッツ)も持ってきました。運転上手な父ですので、慣れない土地でも車があれば自分で運転して退屈しないだろうと思ったのです。

父の車の後続で走ると、カーブを大きくはみ出る、中央車線をはみ出て走る、一旦停止でしっかり止まらない、などなど、事故になるのではないかと心配になる運転でした。

認知症による空間認知の障害が出ているようなのです。

本人は全く問題に感じていません。

父の車に同乗していた太郎が、怖いというくらいでしたので、高齢者自動車事故の典型例になるのではと心配になりました。若い時から運転してきたことが自慢の父でしたので、人生の最後にその経歴を傷つけることはしたくありませんでした。

まだ、十分乗れるという父から、病気して弱っているのだから、車に乗るのは控えようと車のキーを預かりました。治療後、父が家へ帰るときも、車は運びましたが、自分で運転しないように、車のキーは預かったままにしました。まだ乗れる〜と乗りたがる父に、納得させるために自動車学校での講習を受けさせてみてはどうかとか、色々考えましたが、孫たちみんなからも、もう乗らない方が良いと口々に行ってもらって、そうかね〜と渋々納得しました。どうせ使わせてもらえないのだから、売ってお金にしようかと提案すると了解を得られましたので、早々に売却しました。運転免許の返納はそれからしばらく時間がかかりました。

 

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 ここまで、読んでくださってありがとうございます。